人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 5-後編
【5-前編】はこちらから
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
4. 鎧から出てきた願文は史実なのか
さて、粛清された後に視聴者の気持ちをここまで奈落の底へと突き落としたのは、上総 広常の愛すべきキャラクターに加え、鎧の中から見つかった願文の内容が一因でもあるのではないかと思います。
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『吾妻鏡』寿永3年(1184年)1月17日条には、上総 広常の死後、上総国一之宮である玉前神社から、次のような内容を記した願文が奉納された鎧の中から見つかったと記されています。
「一 三箇年の中、神田二十町を寄進すべき事(三年のうちに、神田二十町分の寄進をすること)。
一 三箇年の中、式の如く造営を致すべき事(三年のうちに、しきたりに従って社を造営をすること)。
一 三箇年の中、万度の流鏑馬を射るべき事(三年のうちに、何度も流鏑馬神事を行うこと)。」
それも、「右志は、前兵衛佐殿下の心中祈願成就して、東国泰平の為なり」、つまり前兵衛佐(頼朝)殿の心願成就と東国太平のためにこれらを行うと言うのです。もしこの願文が真実であれば、謀反人どころか、大変な忠義者だったということがわかる内容です。
『吾妻鏡』は、この上総広常粛清事件のあった寿永2年(1183)12月に関しては記録が欠落しています。実際、何が原因でこのような事件に至ったのかを、『吾妻鏡』から読み解くことはできません。
幕府としての記録がないことを逆手に取って、三谷氏が創作したのが第15回「足固めの儀式」でした。この粛清事件の発端となった、家人たちが謀反を計画するくだりに関しては、三谷氏による完全なオリジナルです。
2. 手習いの場面という見事な伏線。下手な字の願文が誘う効果
『吾妻鏡』以外に、上総 広常が粛清された理由がどこかに書かれていないかと求めてみると、『愚管抄』建久元年(1190年)のくだりに、頼朝が後白河法皇に対して語ったという体で記録が残されているのが確認できます。『愚管抄』によれば、朝廷の意向を重んじる頼朝に対して、「東国は東国で自立してやっていけばよいではないか」と広常が意見したため、これを朝廷への謀反の企てありと考え、広常を殺したのだと頼朝が語ったとあります。
もちろん、これは朝廷に向けての発言なので、頼朝の真意であるとそのまま捉えることはできません。後白河法皇に対するリップサービスという意味も多分に込められていることでしょう。真実は結局のところわかりません。
『吾妻鏡』では、寿永3(1184)年正月1日条に「去年の冬、広常の事によって営中は穢れた」という記録が見え、その後、寿永3(1184)年1月17日条には、先述した願文の記録が登場します。この願文が見つかったことにより頼朝は後悔し、一族の赦免を命じたと記されています。
『鎌倉殿の13人』では、一族の赦免についてまでは触れられていませんでしたが、願文が見つかった場面は描かれていました。
下手な字で書かれた願文を前に、「子どもの字か」と渋面を作る頼朝。「上総介殿は京に上る前に読み書きの稽古を」と義時は頼朝に必死に伝えます。それでも頼朝は「読めん」と願文を義時に突き返すため、義時が代わりに読んで聞かせます。
絶対に叶えたい願いだからこそ、たとえ下手な字であっても、鎌倉殿のことを考え、真心を込めて、代筆させることなく自筆で一生懸命したため、奉納したのでしょうか。そんな広常の人知れぬ努力を以前から知っていた義時は、涙を浮かべ、願文を読み上げるのです。
「これから三年のうちにやるべきこと。明神様のための田んぼを作る。社も作る。流鏑馬もいくたびもやる。これすべて鎌倉殿の大願成就と、東国の太平のため」
これを聞いた後、頼朝の台詞はありません。無言のまま、複雑な表情を浮かべ、願文をグシャグシャに丸めて立ち上がる、その一連の動作に大きな「後悔」の念が現れているように見えました。
手習いをする場面を事前に挿入したのは、願文発見の場面を見据えた周到な伏線だったのでしょう。非常に感動的な、涙を誘う場面となっていました。
3. 誰もが心の奥底に持つ猜疑心。それをどうコントロールするかが大切
「自分を脅かす存在なのではないか」という頼朝の猜疑心が結果的に罪なき者の粛清につながり、そして頼朝の心の内には大きな後悔も同時に生じるという流れは、この後も繰り返されます。
木曽 義仲(青木 崇高)討伐から源 義高 (市川 染五郎)追討への流れも、まさにそうでした。愛娘・大姫(落井 実結子)の哀願を受けて、助命しようとしたものの間に合わず、結局、義高を討ち取った者を処刑するしかありませんでした。そして、大姫との親子関係にも大きなヒビが入ってしまうという悲しい連鎖を生むこととなります。
義仲公館跡 義仲寺 義仲館 義仲と巴の像
源 義経(菅田 将暉)と頼朝の対立に関しても、通説のように政治的思惑から検非違使任官を快く思わず、「鎌倉の推挙なく勝手に朝廷からの恩賞を受けるなど絶対に許さぬ」といった単純な描かれ方ではありません。義経との関係性の修復を試みたものの、後白河法皇(西田 敏行)の謀略により、討伐せざるを得ない状況へと次第に追い込まれていくという複雑な状況が描かれていました。
現代では、源頼朝と言うと、自身の立場を確立するために次々と身内を粛清した冷酷で身勝手な人物というイメージを持つ人も多いかもしれません。実際、現代に伝わる史書の中に、素っ気なく描かれた記述からは、そうとしか受け取れない部分も確かにあります。
しかし、『鎌倉殿の13人』では、人を疑う一方で、信じてみようか、助けようかと揺れ動き、結局は間に合わずに、してしまったことを後悔しているかのように見える頼朝の人間らしい一面も丁寧に描かれています。
広常粛清事件以来、「#頼朝嫌い」とブラックな面ばかりがクローズアップされている頼朝ではありますが、いけないと思いつつも人を疑ってしまうという気持ちは誰の心の奥底にも眠っている一面ではないでしょうか。もちろん、現代の倫理感で生きる私たちは、猜疑心から殺人へと至ることはないでしょうが、猜疑心が募るあまり人間関係を乱してしまうということは往々にしてあるでしょう。
『鎌倉殿の13人』の源頼朝は、そんな誰もが持つパンドラの箱を開けてしまうとどんな悲劇が訪れるか、ということを私たちに教えてくれる存在のようにも感じられます。
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』
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