人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 11-後編
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2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
4. ダークヒーロー・北条義時、彼は本当に闇堕ちしたのか?
源 頼朝(大泉 洋)が亡くなってからの義時は、大河ドラマの主人公にしては闇の部分があまりにも濃く、その「闇堕ち」ぶりがSNSでも毎回話題になっていました。純真だったかつての小四郎の担っていた役割は、一見、息子である泰時(太郎)にすべてバトンタッチされたかのように見えます。
しかし、義時は「権力を握りたい」というおのれの欲のために執権の座に就いたわけではありません。その行動の根底にあるのは「板東武者の世を作る」という兄・北条 宗時(片岡 愛之助)の言葉であり、守りたいのはおのれの立場や権力ではなく、あくまでも「坂東武者のための鎌倉」です。
この後、後鳥羽上皇(尾上 松也)との溝が深まるにつれ、義時の抱く鎌倉や坂東武者への思いはより鮮明に描かれていくこととなります。しかし、この時点でも既に源 仲章(生田 斗真)を討つ、そして実朝の暗殺を黙認するという行動から、その内に秘めた思いを窺い知ることができます。
京に幕府を遷すというのは三谷氏の創作したエピソードではありますが、後鳥羽上皇を敬愛し、親王を次の鎌倉殿として京から迎えるという選択をする実朝では、遅かれ早かれ、朝廷の下に鎌倉が支配されるという未来がやって来てもおかしくはありません。
第43回「資格と死角」では、仲章が「頼仁親王様が鎌倉殿になられた暁には、この源仲章がいわば関白として支え、政を進めていく」と義時に高らかに宣言しています。そして、「太郎も何かの官職に推挙してやりたい」という実朝に対し、仲章は「讃岐守はどうか」と献言します。
しかし、仲章は後鳥羽上皇の近習。そんな仲章に鎌倉を自由にさせないため、義時は泰時に「借りをつくるな」と忠告します。官職は朝廷からもらうものです。高い官職をもらうということは、すなわち朝廷や後鳥羽上皇に借りをつくるということであり、朝廷の支配下に鎌倉が置かれるということを意味しているのです。
泰時もその意図に気づいており「私も讃岐守はご辞退しようと思っていたところです」と、父と同じ思いであることを打ち明けます。
実際、義時は承久の乱に勝利した後も高い官位を得ることはなく、その生涯における最高官位は従四位下でした。これ以降、鎌倉幕府が滅びるまで、北条氏はどんなに出世しても四位以上の官位は得ていません。あくまでも朝廷の支配下ではなく、その外側にある独立した組織として幕府を位置づけたいという思いから、朝廷から「借りをつくらない」ようにしていたのではないかと考えられます。
このように、東国武士のための幕府を守りたいという強い考えを持つ義時にとって、実朝は非常に危険な考えを持つ鎌倉殿です。そのため、公暁の計画を知ってもあえてそれを止めようとはしません。鎌倉のため、東国武士のために、実朝には消えてもらうほかないと義時は考えたのでしょう。
5. 信じていたおばばから告げられた言葉、「天命にさからうな」
第45回「八幡宮の階段」は、鶴岡八幡宮での拝賀を終え廊下に出た実朝に、歩き巫女(大竹しのぶ)のおばばが「天命にさからうな」と告げる意味深な場面から始まりました。そして、この言葉が、実朝の運命を決定づけることになるのです。
公暁の襲撃に対し、実朝は小刀を取り出し、一瞬、身を守ろうとするかのような素振りを見せます。しかし、結局、実朝はすべてを受け入れたかのように小刀を手から落とすと、公暁を見つめうなずくのでした。
このとき、実朝の脳裏に蘇ったのは、先ほど庭で見かけたおばば。そして、彼女が実朝にかけた言葉でした。
「天命にさからうな……天命にさからうな!」
おばばは、かつてその言葉によって実朝を苦悩から救ってくれた人物です。また初対面の実朝に対して、「雪の日は出歩くな、災いが待っている」という予言も告げていました。
それらの言葉が実朝の中でつながり、「これは天命なのだから受け入れるしかない」という思いに至ったのでしょう。
過去に自分を救ってくれたおばばの言葉、そして拝賀式の直前に知らされた兄・頼家の悲劇的な最期。その謀に実朝自身まったく関与していなかったとはいえ、公暁から見れば実朝は簒奪者です。親の敵として自分のことを恨んでも仕方がないと思ったことでしょう。
そして、折しも災いが待つと予言された雪の日。信頼するおばばが「さからうな」というのだから、この天命を抗わずに受け入れるしかないと決意したのではないでしょうか。
しかし、公暁が本懐を遂げた後、おばばはもう呆けていて誰彼かまわず「天命にさからうな」という言葉をかけて回っているだけなのだという事実が視聴者へと明かされます。
かつてのおばばの予言は、信頼に足るものだったのかもしれません。しかし、つい先ほどの「天命にさからうな」という言葉はまったく根拠のないものだったのです。
三谷氏は、鎌倉最大のミステリーについて、さまざまな説をうまくミックスしながら紐解いた上で、最後の最後に視聴者をさらに地獄へと突き落とすような悲劇的な結末を描き出したのでした。
一方で、直前になって太刀持ちを代わることになった義時は、かつての頼朝のように自分は天命によって生き延びたのではないかと感じます。
「どうやら私には、まだやらねばならぬことがあるようだ」と。
義時がなぜ当日、急に御剣を仲章に譲ったのか――この理由についても『吾妻鏡』と『愚管抄』の記事を両方とも採用する形で描かれました。実朝からの命で仲章が直前に太刀持ちの役を義時と代わったのですが、義時自身は夢に見た白い犬が目の前に現れ急に気分が悪くなったので自分から申し出て仲章に代わってもらったのだ、と宿老や泰時たちに語るのです。
「役目をはずされたおかげで助かったとは、思われたくないのでしょう」と平 盛綱(きづき)は言いますが、義時が事実と異なる言い訳をする場面を挿入することで、『吾妻鏡』の荒唐無稽にも思える記述とも矛盾が生じなくなっています。
そしてこの後、義時は朝廷から鎌倉を守るという役目を果たし、東国の武家政権を盤石なものとして次代へつなぐまでは命を長らえることとなるのです。
6. 実朝の天命を決めたのは自分自身だったのか?
ここで思い出されるのは、「人の命は定められたもの。あらがってどうする。甘んじて受け入れようではないか」という死を目の前にした頼朝の言葉です。病に倒れた頼朝と討たれた実朝。その状況こそ異なりますが、父子ともに自分のなすべき役目は終わったのだと悟り、死という運命を甘んじて受け入れる姿が重なって見えます。
頼朝が見た死の夢。呆けた巫女の言葉。白い犬に姿を変えて現れた戌神。
過去の歴史を知る未来から、そして物語の外側から、客観的にこのドラマを見つめる私たちにとっては、到底信じられないことであっても、中世に生きる彼らにとっては、これらの託宣はまぎれもない真実であり、天の意思です。
公暁が、鎌倉殿の証しだと信じ、四代目・鎌倉殿になるため実朝の部屋から奪った髑髏も、もともとは誰のものかもわからぬ髑髏でした。このような謀反を起こしてはもう鎌倉殿になる夢は叶わぬと理解しながらも、公暁はその髑髏を政子に見せて「四代目は私です」と宣言します。誰のものとも知れぬ路傍の髑髏が、いつの間にか三種の神器のように大きな意味を持ってしまっているのですが、信仰とは所詮そんなものなのかもしれません。
江戸時代に生まれたことわざではありますが、「鰯(イワシ)の頭も信心から」ということなのでしょう。
頼朝は病を患っていましたから、「甘んじて受け入れようではないか」と覚悟を決めても決めなくても、結局は命を落とすことになったかもしれません。しかし、実朝の場合には天命を受け入れず、小刀で身を守るという選択もできたはずです。「雪の日は出歩くな、災いが待っている」「天命にさからうな」という言葉を受け入れた瞬間、まさに実朝の天命は定まったのでした。
そして、その一方で「まだやらねばならぬことがある」と信じ続ける義時は、生き延びる道を選び取ったのです。
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』