人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 12-前編
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
- 日本三大悪女に数えられる政子は本当に悪女だったのか?
- 権力のためではなく、妻として母として悩み行動する新しい政子像
- 妹を救うため尼将軍として立つことを決意する政子
- 蹴鞠で平和的に決着をつける後鳥羽上皇とトキューサ(北条時房)
1. 日本三大悪女に数えられる政子は本当に悪女だったのか?
第46回「将軍になった女」では、いよいよ政子(小池 栄子)が尼将軍として立つこととなります。
現代では、日野富子、淀殿と並んで日本三大悪女というイメージが強い政子ですが、同時代には政子を悪女と評する史料は見えません。悪女と評されるようになったのは、儒教の考え方が広まった江戸時代以降ではないかと考えられます。
現代に生きていると、古代からずっと男尊女卑の時代が続いていて、フェミニズムやジェンダー平等といった考え方が生まれたのはつい最近のことなのではないかと勘違いしてしまいますが、むしろ男系の封建制度が確立する江戸時代以前、女性の地位は高かったのではないかと考えられています。
『吾妻鏡』では、「前漢の呂后と同じく天下を治められた。あるいは、神功皇后が我が国に再生し、国の基礎を護られたものであろうか」(前漢の呂后に同じく天下を行は令め給ふ。若しくは又、神功皇后、我が国に再生し、皇基を護り給ふか)と、政子の政治手腕について古代の女性為政者の例を挙げ、絶賛しています。
北条氏にとって都合の悪いことは書かない『吾妻鏡』ですから多少は差し引いて考えねばなりませんが、室町時代に入っても政子の評価は高く、「悪女」として評されるようになったのは、家父長制度が確立するとともに三従の教えが当たり前とされた江戸時代以降です。「未だ嫁さずは父に従い、既に嫁しては夫に従い、夫死しては子に従うものなり」というのが女性の模範的な生き方であるという儒教の枠組みの中では、政子が亀の前に対して行った後妻打ちは、嫉妬深い悪女のなす行為と捉えられたことでしょう。そして、女性である政子自らが幕府のトップに立って政を行うということ自体が、悪女の根拠ともなったのではないでしょうか。
しかし、夫である源 頼朝(大泉 洋)が亡くなり、3代鎌倉殿・源 実朝(柿澤 勇人)も暗殺される中で、深まる朝廷との対立や承久の乱という難局を乗り越え、無事に東国武士のための幕府を存続させることができたのは北条 義時(小栗 旬)の手腕のみならず、後家として幕府を支え、尼将軍として政を行った政子のはたらきも大きかったと考えられます。
2. 権力のためではなく、妻として母として悩み行動する新しい政子像
『鎌倉殿の13人』の政子は、これまで私たちに植え付けられてきた嫉妬深く気が強い悪女というイメージを塗り替えるような、慈愛に満ちた人物として描かれ、新しい政子像を私たちに示してくれました。
三谷氏は、NHKのインタビューで「別に政子を美化して描くつもりもなかったけど、普通に考えて、彼女に悪女と呼べる要素は何もない。常に妻として母として悩み、行動してきただけ。僕には権力欲の塊のような女性にはどうしても思えなかった。(中略)僕はひそかに、小池さんが演じている政子が最も本物の北条政子に近いキャラなのではないかと思っているくらい」(「脚本・三谷幸喜さんインタビュー」)と語っています。
そもそも、政子が尼将軍として立つことを決意したのも、おのれの権力欲のためではなく、愛する妹・実衣(宮澤 エマ)の命を守るためでした。
実朝と公暁(寛一郎)が亡くなったことにより、いよいよ源氏の嫡流は、阿野 全成(新納 慎也)と実衣の子である阿野 時元(森 優作)ただ一人となってしまいました。この事態を受けて、時元は自らが鎌倉殿になろうと謀反を起こしたと『吾妻鏡』には記されています。建保7年(1219)2月15日条によれば、時元は11日に朝廷からの宣旨を賜わり、東国を支配することを企て、駿河国の奥深い山に城郭を構えたとあります。
『吾妻鏡』原文
「阿野冠者時元、去る一日多勢を引率し、城郭を深山に搆う。是れ宣旨を賜はると申す。東國を管領すべきの由(よし)、相企つと云云(うんぬん)」
しかし、同2月22日には、鎌倉から送られた軍勢に囲まれ、時元は自害しました。『吾妻鏡』では時元の謀反とされていますが、鎌倉中期に成立した『承久記』は冤罪であったと記しています。
3. 妹を救うため尼将軍として立つことを決意する政子
『鎌倉殿の13人』では、実衣の抱いていた野心をうまく利用し、義時と三浦 義村(山本 耕史)が実衣を罠に嵌め、公暁のように将来的に火種となる可能性のある時元を討ち取ったという展開が描かれます。
史料には、この謀反に実衣が積極的に関わったのかどうか、罪を問われたかどうかは記されていません。しかし、第46回「将軍になった女」では、実衣が時元に対して挙兵を焚きつけた文が証拠として見つかり、義時は実衣のことを死罪にすべきだと主張します。
罪人として閉じこめられ、政子に「死にたくない」と本心を吐露する実衣を、政子は優しく抱き締め、「大丈夫」と慰めるのでした。妹の命を救いたい――。この家族に対する慈愛に溢れる思いが、尼将軍として立つ決意のきっかけとなったように『鎌倉殿の13人』では描かれているのです。
実衣が時元の謀反に関わっていたというフィクションを挿入することで、従来、私たちがイメージしてきた「権力欲の塊のような悪女」ではなく、家族を愛する優しい女性という政子の性格がクローズアップされています。
4. 蹴鞠で平和的に決着をつける後鳥羽上皇とトキューサ(北条時房)
実朝が暗殺されたことにより、朝廷と鎌倉との関係は悪化し、頼仁親王が次期・鎌倉殿として下向するという約束もなかなか実現されませんでした。
それどころか、後鳥羽上皇(尾上 松也)は、義時が地頭職を務めている摂津国の長江、倉橋のふたつの荘園について、地頭職を返上せよという無理難題を突きつけてきます。「嫌がらせに決まっている」と憤慨した義時は、北条 時房(瀬戸 康史)に一千の軍勢を率いて上洛させ、将軍を下向させるよう朝廷に求めます。
『吾妻鏡』建保7年(1219)3月15日条では、政子の使いとして時房が軍勢を率い上洛したことしか記載されておらず、時房と後鳥羽上皇の間でどのようなやりとりがあったのかまではわかりません。
『吾妻鏡』原文「相州(=相模守時房)、二位家(=政子)の御使と為し上洛す。扈從(こしょう)の侍千騎と云云。(後略)」
その史実ではわからない交渉の部分を、「蹴鞠で決着」という実に平和的な解決で事を収めたのは見事でした。
折しも、カタールW杯の時期でしたから、それに合わせ蹴鞠対決という展開を取り入れたのかもしれません。しかし、大河ドラマファンであることを自ら公言している三谷氏ですから、もしかすると2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』の今川氏真へのオマージュという意味合いも含んでいるのではないかと、つい深読みしたくなってしまいます。
このとき今川氏真を演じたのは、『鎌倉殿の13人』で後鳥羽上皇を演じている尾上 松也さんでした。
『おんな城主 直虎』で、氏真は「大名は蹴鞠で雌雄を決すればいいと思うのじゃ!(中略)揉め事があれば戦のかわりに蹴鞠で勝負を決するのじゃ。それならば人は死なぬ、馬も死なぬ、兵糧もいらぬ」と語っています。氏真は、桶狭間の戦いで織田信長に父の今川義元を討たれますが、後にその仇敵であるはずの信長の前でも抗うことなく素直にその命に従って得意の蹴鞠を披露するのです。 『鎌倉殿の13人』では、残念ながらこの後、朝廷と鎌倉幕府の間は、承久の乱という戦で決着をつけることとなってしまうのですが、この段階では時房は武力を行使することなく、蹴鞠で勝負をすることで、次代の鎌倉殿となる三寅(中村 龍太郎)を下向させることに成功するのでした。
12-後編 【最終】に続く
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』