人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 3-前編
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
1. 「水鳥の羽音に驚いて逃げ出す平家たち。その有名な名場面の新たな解釈は?
「富士川の戦い」は、たくさんの水鳥が飛び立つ羽音を源氏方の奇襲だと勘違いして、戦いもせずに平家が逃げ出してしまったことで有名な合戦です。
この場面を描いた『平家物語』巻第五「富士川」の一部を教材として採用している国語の教科書もあるため、ご存じの方も多いことでしょう。治承・寿永の乱(源平合戦)を題材に映画やドラマが作られる際には、ほぼカットされることはない有名なシーンです。
逆に、有名過ぎるがゆえに、作り手としては新たな解釈や脚色を加えにくく、予定調和的に描くしかない場面とも言えます。本能寺の変や赤穂浪士の討ち入りのように、視聴者たちはこの後の展開や結果をわかり切った上で画面を見ているであろうシーンなのです。
本作では、そんなありふれて手垢のついた場面も、三谷氏独自のコミカルな演出がなされていました。第9回「決戦前夜」で、水鳥を驚かせる原因を作ったのは、北条時政(坂東 彌十郎)でした。「俺のほっぺた思いっきりぶん殴ってくれ」と、自分を叱咤するために頬をはたくよう三浦義澄(佐藤 B作)に頼んだ時政ですが、「やりやがったな、馬鹿野郎」と逆に義澄を突き飛ばしてしまいます。甲冑姿の三浦義澄が川面に倒れ込んだ音と衝撃に、周囲に繋がれていた馬たちは驚いていななき、水鳥たちは一斉に羽ばたくという展開が繰り広げられました。
『平家物語』では、「富士の沼に、いくらもむれゐたりける水鳥どもが、なににかおどろきたりけん(富士の沼に無数に群らがっていた水鳥が何に驚いたのか)」と、水鳥の飛び立った理由までは描かれていません。その「なににか」という謎の部分を、登場人物を上手く活かしながら、コミカルに描いていたのです。
2. 平家たちが逃げ出した理由は何だったのか?
さて、実際のところ、平家が逃げ出した本当の理由は何だったのでしょうか?
水鳥の羽音に驚いたという記述は、『平家物語』のほか、『源平盛衰記』や『吾妻鏡』にも見られます。また、中山忠親という同時代の公卿の日記である『山槐記』にも、水鳥の羽音に驚いた平家が、自らの陣に火を放って逃げて行ったと書かれています。
一方で、関白・九条兼実の日記である『玉葉』や公家・吉田経房の日記である『吉記』には、水鳥の羽音に関する記述はありません。『玉葉』によれば、平家方の数百騎が源氏方へと寝返った上、平家は二千、対して源氏方の数は四万余りと聞いて撤退を決めたとあります。『玉葉』では、源氏方の大将は源頼朝(大泉洋)ではなく、武田信義(八嶋智人)であるとされています。
『吾妻鏡』には、「武田太郎信義、兵略を廻らし、潜(ひそ)かに件(くだん)の陣の後面を襲ふの処、富士沼に集まる所の水鳥等、群れ立ち、其の羽音、偏(ひとえ)に軍勢の粧いを成す」とあり、水鳥を羽ばたかせたのは武田信義の夜襲の準備がきっかけであると描かれています。
第9回「決戦前夜」の中でも、源頼朝を騙し、自分たちだけで戦の決着を付けてしまおうとする武田信義の姿が描かれていました。『吾妻鏡』や同時代の公家たちの日記を参考にするならば、源頼朝が合流する前に行われた「鉢田の戦い」において、武田信義は平家方に大勝しており、平家方は既に逃げ腰になっていたと考えられます。
武田信義がたくさんの首桶を並べ、「橘遠茂を討ち取った、駿河の目代じゃ」と北条義時(小栗旬)に自慢気に首を見せている場面がありましたが、これは鉢田の戦いで討ち取った首級です。これによって平家方の士気が落ちていると武田信義が語っていますが、実際、その通りだったのでしょう。
近年の研究では、富士川の戦いの実質的な勝者は、源頼朝ではなく甲斐源氏であると考えられることも多いようです。
とはいえ、今回の大河ドラマの中心人物は北条をはじめとする源頼朝の家人たち。「頼朝たちが参陣する前に戦の大勢が決していた」では、盛り上がりに欠けた展開となってしまうことでしょう。功を上げよう、出し抜こうと躍起になる武田信義を描く演出で史実を上手く表現しながら、さらに、時政が三浦義澄を突き飛ばす場面を入れることで、結果的に平家撤退の原因を作ったのは、なんと北条時政だったというオチをつけて描いているのです。
3. これまでのイメージを覆す、愛すべき平凡な田舎侍・北条時政
北条時政という人物は鎌倉幕府の初代執権ですが、前半生やその出自についてははっきりとしたことがわかっていません。
桓武平氏の血を引いていると言われていますが、時政は北条一族の中では本家ではなかったという説もあります。そもそも、北条氏自体が源頼朝の旗揚げ以前は特に有力な一族ではなく、伊豆の片田舎に小さな所領を持つ地方武士に過ぎませんでした。
家人の中で、上総広常(佐藤浩市)の方が大きな顔をしていると、時政の妻であるりく(宮沢りえ)は文句を言っていますが、治承4年(1180)当時の、北条の勢力と上総広常の持つ勢力の差を考えれば致し方ないことかもしれません。
上総広常は、当時、上総国一国(現在の千葉県中部一帯)を支配下に置いており、頼朝と合流した際にも2万の兵を率いて来たと『吾妻鏡』には書かれています。第四回「矢のゆくえ」で挙兵した当初の兵の少なさを思い返してみると、北条が持っていた勢力の実体もイメージしやすいことでしょう。
坂東の武士の中でも、さほどの勢力を持っていなかったのにも関わらず、たまたま源頼朝の流罪先の近くに所領を持ち、たまたま娘の結婚により頼朝の舅となり、たまたま挙兵が見事成功したことで、一族ごと大きく運命が変わってしまった人物、それが北条時政です。
北条時政と言えば執権になってからのイメージが強く、どちらかというとやり手の政治家、もしくは悪人というイメージの方が強いかもしれません。しかし、『鎌倉殿の13人』の時政は、やり手というよりも、むしろ少し抜けていて、どちらかと言えばダメ人間寄りの愛すべき凡人として描かれています。
3-後編 に続く
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。