人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 7-後編
【7-前編】はこちらから
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
5. 死への恐怖に怯え、縁起を担ごうとする頼朝
第25回「天が望んだ男」では、落馬が直接の死因となったのではなく、脳血管障害が起きて落馬したとわかるように、そこまでの経過が丁寧に描写されました。
橋供養の後、餅を喉に詰まらせたのも、もしかすると脳卒中を起こす前兆として誤嚥が起きたことを示しているのかもしれません。
橋供養を終えて、鎌倉への帰途。頼朝は「初めて北条の館に来た時……」と過去を振り返って語るうち、呂律が回らなくなったかと思うと、手に力が入らなくなったように手綱を取り落とします。手の震えや、顔面の引きつりなど細やかな演技によって、現代の医学知識を持つ我々が見れば、言語障害、半身麻痺の症状など脳卒中の発作が起きて落馬に至ったと理解できる場面になっていました。
そもそも、第25回は、頼朝が毎晩、自分が死ぬ夢を見て死への恐怖に怯えるという場面から始まりました。夢を現実にしないように、呪(まじな)いや占いを得意とする弟の阿野 全成(新納 慎也)に死を避けるにはどうしたらよいかとすがるように相談します。平家の色である赤を避ける、仏事神事は欠かさぬことなど全成が思いつきで適当に答えた方法を、頼朝は必死に守ってなんとか死を遠ざけようとします。
疑心暗鬼から、たくさんの者を死へと追いやって来た頼朝も、自身に死が迫るとその恐怖に怯え、何とかそこから逃れようとする――なんとも滑稽に思えますが、怨霊に怯えるあまり御霊信仰を生み出したかつての権力者たちの姿とも重なります。
死が直前に迫ったとき、その恐怖に怯え、死から逃れようとあがき、何とかして命を少しでも長らえようと生に執着するのは生命体としての本能であり、自然な行いかもしれません。征夷大将軍といえども人の子、誰にも等しく訪れる死という逃れられないものが目前に迫れば、私たちと何ら変わらず足掻くのかと、共感や親近感を覚えた人も多いのではないでしょうか。
自らの死が近いことを知ってそれを粛々と受け入れることができる人間は、はたしてどれほどいるでしょう? 悩むことなく自らの死をすぐに受け入れられるのは、悟りを開いた人間か、あるいは頼朝の愛娘・大姫(南 沙良)のように生というものに希望をまったく見出せなくなってしまった人間なのではないでしょうか。
しかし、同回の後半で、頼朝の態度は一転します。前半が、人間・頼朝であったとすれば、後半は征夷大将軍・頼朝の顔が前面に現れるのです。
6. 「天が望んだ男」が天命を失う時、そこに死が訪れる
橋供養を終えた後、頼朝は政子(小池 栄子)と北条 義時(小栗 旬)に「わが源氏は帝をお守りし、武家の棟梁として、この先、百年も二百年も続いていかねばならん。その足がかりを頼家がつくる。小四郎、お前は常にそばにいて、頼家を支えてやってくれ。政子もこれからは鎌倉殿の母として、頼家を見守ってやってほしい」と、頼家や幕府のことを託します。そして、自らは今後、大御所となることを告げるのです。
頼りにする二人に未来を託したことで、将軍としての懸念や死へ向かう不安がなくなったためでしょうか。
その後、「人の命は定められたもの。あらがってどうする。甘んじて受け入れようではないか。受け入れた上で好きに生きる。神仏にすがって怯えて過ごすのは時の無駄じゃ」とすべてを悟ったように義時に告げると、自らの運命を生死の行方も含めすべて受け入れたような表情を浮かべるのです。
頼朝は初登場時からずっと天に選ばれた人物として描かれてきました。疾走する馬上、義時の背にしがみつき、追っ手から無事逃げおおせるという場面からこのドラマが始まるのも象徴的です。その後も、頼朝は初登場シーン同様「あわやこれまでか」という数々の修羅場をあり得ないほどの幸運でくぐり抜けていきます。
それも、神仏から託された天命とも言うべき役目があったからであり、そのことを自身でもわかっていたのでしょう。第23回「狩りと獲物」では、曾我兄弟の襲撃を無傷でくぐり抜けたにもかかわらず、頼朝は神仏の加護が消えたのではないかと死の予兆を感じ始めています。頼朝は「いつもははっきりと天の導きを感じた。声が聞こえた。昨日は何も聞こえなかった。……小四郎、わしがなすべきことは、この世に残っていないのか」と義時に問うのです。
頼朝が神仏から託された天命は、おそらく平家打倒と武家政権の樹立までだったのでしょう。武家のための世を創るという大それたことを成すには、坂東武者たちの力だけでは困難で、ましてや伊豆の片田舎の豪族に過ぎない北条一族の力だけではとても成し得ないことです。源氏直系の血筋を持つ頼朝にしかできない役割――それが、彼らの旗印となることでした。
その役割を全うした後は、その続きを担う者へ神仏のご加護が移ったと描かれているのでしょう。
では、天の導きは頼朝からどこへ向かったのでしょうか。
7. 北条義時にだけ聞こえない鉦の音、その理由は?
頼朝が落馬すると、その瞬間、鉦の音が鳴り響きます。そして、頼朝に近しい人物たちも次々と同じ音を聞くのです。いわゆる、虫の知らせのようなものにも見えますが、祈るように手を合わせた義時が映る場面だけは鉦の音は鳴り響きません。義時は、他の登場人物たちのように空中を見上げることすらせず、ただ一人、何も気付いていない様子に見えるのです。
これは、とても印象的な描かれ方だったため、「鉦(鈴)の音が義時だけに聞こえないのはなぜなのか」と、SNS上でもさまざまな考察が繰り広げられました。
「天が望んだ男」ではなくなった頼朝に聞こえてしまったのが鉦の音でした。そして、その鉦の音が聞こえた人物たちもまた、天命を担う人物たり得ないということを表しているのかもしれません。頼朝自身が幕府の命運を託したいと思ったのは頼家ですが、頼家もまた鉦の音を聞いています。頼家はこの後、時政や義時によって、将軍職から追いやられるばかりではなく、この現世という舞台からも退場させられることとなります。ということは、この時点で既に天命は頼朝から頼家ではなく、義時へ移ったということを表しているのかもしれません。「天が望んだ男」は鉦の音を聞いた頼家ではなく、義時であるということを示唆しているのではないでしょうか。
頼朝の死をもって、源氏が武家政権を樹立する物語は終わります。ここからは、坂東武者が坂東武者のための政治を行い、北条がその覇者となる物語が描かれます。
義時は、敬愛する兄・北条 宗時(片岡 愛之助)が遺した「板東武者の世を作る。そして、そのてっぺんに北条が立つ」という言葉を具現化しようと、ただ実直に政(まつりごと)を進めていきます。その手段は時に冷酷なものですが、それは頼朝に信頼され、常に頼朝のすぐ傍で手足として働いてきたからこそ身に着けることができたものでもありました。
そして、この後、鎌倉時代という歴史を主役として紡いでいくのは、鎌倉幕府の将軍ではなく、北条一族になるのです。
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』