人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 10-後編
【10-中編】はこちらから
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
5. 「おぼつかなきを 知る人のなさ」―和歌に込められた実朝の淡い“初恋”
また、実朝が恋慕の想いを込めた歌を男性に対して贈っていることから、「女性を性愛の対象とみることができない人間」(三田武繁氏「源実朝の「晩年」」『東海大学紀要. 文学部』第108輯、2017年)と推測する説もあります。
では、実朝が泰時に贈った和歌には、いったいどのような想いが込められていたのでしょうか。その歌の意味が解かれることによって、実朝の悩みの真相も明らかになります。第39回「穏やかな一日」に戻って、泰時に贈った歌について見ていきましょう。
実朝が泰時に贈ったのは、「春霞 たつたの山の 桜花 おぼつかなきを 知る人のなさ」。これは、『金槐和歌集』371番、恋部の冒頭に「初恋のこころをよめる」という詞書とともに収められている歌です。「詞書」とは、「歌を詠んだ状況について説明したもの」と学校の古典の時間には習うことと思います。『源氏物語』や『伊勢物語』の中で「恋人同士が想いを伝え合うための手段として和歌を書いた恋文を贈り合う」といったことも同時に習いますので、和歌とは昔の人たちが生活の中でメッセージを伝え合うために使っていたツールというイメージを抱いている方も多いかもしれません。
しかし、平安時代中期以降の貴族社会において、歌合や屏風歌、百首歌など、あくまでも「創作」として、専門の歌人たちが和歌を詠むというシーンも次第に増えていきます。そこでは、題詠歌といって、あらかじめ「春」や「恋」など決められたテーマに従って和歌を創作するという文化も根付いていきます。現代において、プロの作詞家が「“恋”というテーマで歌をいくつか作っておいてね」と発注されて作詞をするのと同じような状況と考えればわかりやすいでしょう。中世の歌人たちも、現代の歌と同じようにフィクションとしても多くの歌を詠んでいたのです。そういった時代背景から考えると、「初恋のこころをよめる」といっても、実際に初恋の心をそのまま詠んだ歌だとは限りません。これもおそらく「初恋」というテーマで創作した和歌のひとつなのでしょう。
ドラマの中でも、実朝は文として泰時に歌を贈っているわけではなく、歌だけが書かれた紙を渡しています。
しかし、たとえ題詠歌であったとしても、返歌を求めたということはそこに何らかの意図を込めて渡したことでしょう。それは、その後のやりとりからも明らかです。
6. 「破れて砕けて 裂けて散るかも」―実朝の代表歌が失恋の歌へと変わる見事な和歌ギミック
泰時は、歌の意味がわからずどう返歌してよいものかと悩んでいました。源 仲章(生田 斗真)から、「春の霞のせいではっきりと姿を見せない桜のように病でやつれたおのれを見られたくはない。されど恋しいあなたに逢いたい。せつなきは恋心」という想いを詠んだ恋の歌であると意味を教えられ、さらに「どなたのお作で」と問われた泰時は、「ごめん」と言葉を濁しその場を立ち去ります。
結局、泰時の出した答えは、その歌を鎌倉殿が渡す歌を間違えたことにして、二人の間に波風を立てることなく、丸く収めることでした。
「鎌倉殿は間違えておられます。これは恋の歌ではないのですか」と言って、歌を返した泰時に対し、実朝は悲しそうな表情を一瞬見せます。しかし、作り笑いを浮かべると、泰時に同意し、間違えたことにしてあらためて別の和歌を渡します。そこで渡される歌が、冒頭のナレーションで紹介された「大海の 磯もとどろに 寄する浪 破(わ)れて砕けて 裂けて散るかも」なのです。
これは、先ほどの恋の歌と同じく『金槐和歌集』に収められています。雑部・641番の歌で「あら磯に浪のよるを見てよめる」という詞書とともに記されています。これは、『万葉集』を本歌として詠まれた歌で、特に恋愛の意味が込められているわけではなく、打ち寄せる波が岩にぶつかって砕ける風景を詠んだダイナミックな和歌です。
これまで、恋愛にからめて解釈されたことのないこの和歌をこの場面に使うことで、大海で波が激しく砕け散る景色が、失恋した直後の実朝の心象風景にぴたりと重なります。「破れて砕けて裂けて散る」という、その四度も言葉を重ねて表現された波が裂ける様子は、勇気を出して告白したものの木っ端微塵に玉砕したばかりの砕け散った恋心を表していると考えると、とても悲しい失恋の歌へと意味が大きく変化するのです。
もちろんこれも、もともと用意されていた文箱から渡していますので、先の初恋の題詠歌と同様に、泰時の態度に対して咄嗟に詠んだ返歌というわけではありません。しかし、わざわざこの歌を選び渡したということは、やはり何らかの意図を秘めて渡したのでしょう。歌を詠む前に、紙へと目を落とした後、つらそうに一瞬目を閉じる、その“間”に実朝の哀しさが表現されています。
また、あらためて贈られた和歌を眺め、つらそうな表情で深酒をする泰時からは、そんな実朝の想いに気付かないふりをして、角が立たないように断ったのだろうという複雑な心理が伺えます。この後、泰時は父・義時と時に対立しながら、常に実朝のためを考えて、一番の側近として支え、尽力していきます。人としては心から敬愛しているけれど、恋愛対象としては応えられないという苦渋を表す“やけ酒”なのでしょう。
ちなみに、この時代、日本では同性愛はタブーではありません。むしろ、貴族や武家、僧侶たちの間では現代よりも当たり前に受け入れられていた時代です。御台所の千世が、さほど困惑せずにカミングアウトを受け入れ、寂しさを感じつつ支えようとしているのも、現代よりも理解がある時代だからだとも考えられます。泰時の困惑も、同性ゆえではなく、単に「自分は妻を愛しているから応えられずに困る」という反応なのかもしれません。
新しい実朝像、そしてその周囲の人たちの反応からは、今、さまざまな価値観を受け入れることが求められる現代において、学ぶことも多いのではないでしょうか。
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』