人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 11-前編
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
1. 実朝暗殺事件、義時が太刀持ちの役をはずれた理由とは?
第45回「八幡宮の階段」では、有名な歴史的大事件である3代鎌倉殿・源 実朝(柿澤 勇人)の暗殺が描かれました。暗殺事件が起きたのは、建保7年(1219)1月27日のこと、手を下したのは2代鎌倉殿・源 頼家(金子 大地)の遺児である公暁(寛一郎)でした。実朝が右大臣に昇進したことを源氏の氏神にあたる八幡神へと報告する八幡宮拝賀の日の出来事で、式を終え退出する際に起きた悲劇です。
この暗殺事件については、『吾妻鏡』にも『愚管抄』にも記録されています。
公暁には実朝を討つべき理由がありますし、実行犯が公暁であることに疑うべきところはないと考えられます。
しかし、古くは江戸時代から、公暁単独の犯行ではなく、黒幕が他に存在するのではないかという説がささやかれてきました。拝賀に供奉(ぐぶ)するはずであった執権・北条 義時(小栗 旬)が当日になってその行列から急遽はずれ、義時ではなく源 仲章(生田 斗真)が代わりに凶刃に倒れている――このことが長年の謎とされてきたのです。
2. 『吾妻鏡』と『愚管抄』に見られる記録の相違、どちらが真実だったのか?
『吾妻鏡』と『愚管抄』では、義時が行列からはずれた理由に相違があります。その理由について記録された部分をそれぞれ紹介しましょう。
・『吾妻鏡』
「(実朝)が鶴岡八幡宮の楼門に入られたときに、急に義時は具合が悪くなって、御剣を仲章に譲り、退去され、神宮寺で(装束を)脱がれた後、小町のお邸に帰られた」
(原文書き下し)「宮司の楼門に入ら令め御(たま)ふの時、右京兆(=義時)、俄かに心神御違例の事有り、御剣を仲章朝臣に譲り、退去し給ひ、神宮寺に於いて、御解脱の後、小町の御亭に帰ら令め給ふ」
・『愚管抄』
「先導役で松明を振っていたのを義時だと思って、同じように切り伏せて殺して消えて行った。義時は太刀を持って(実朝の)傍にいたが、(実朝が義時に)中門で止まれと命じて留めたのだった。多くの者が用心していなかったことについては、言うべくもない」
(原文)「この仲章が前駆して火ふりてありけるを義時ぞと思て、同じく切ふせてころしてうせぬ。義時は太刀を持て傍らに有けるをさへ、中門に止まれとて留めてけり。大方用心せず、さ云ばかりなし」
このように、『吾妻鏡』では義時が体調不良により退去したため、『愚管抄』では実朝に命じられ中門に待機させられたためと、その理由に大きな相違が見られます。
『愚管抄』はこの事件を目撃した平光盛から聞いた話を慈円が書き留めたと言われているのでおそらく事実に近く、『吾妻鏡』の方が何らかの理由によって曲筆されたのではないかと考えられています(平泉隆房氏、山本みなみ氏など)。
『吾妻鏡』は、基本史料とはいえど、あくまでも北条得宗家側による記録であり、北条にとって都合の悪いことはねじ曲げて書かれている可能性を考えた方がよいでしょう。
さらに、『吾妻鏡』では後日、なぜ具合が悪くなったかも記録しているのですが、これがまた創作ではないかと疑われる理由のひとつでもあります。
建保7年(1219)2月8日条に、霊夢のお告げによって建立した大倉薬師堂に義時が詣でたという記事があります。その記事内に、1月27日のこととして「実朝に供奉していたところ戌の剋になって、夢に現れた白い犬が傍に現れたのを見て具合が悪くなり、御剣を仲章に譲って退出した。(中略)その時、この薬師堂の戌神像は堂内に鎮座していなかった」と書かれているのです。
実朝が夢日記をつけていたほど、夢告が皆に信じられていた時代の記録とはいえ、あまりにもできすぎた説話のような記述ではあります。そのため、実朝の命で中門に留められ、さらに鎌倉殿を守ることができなかったという北条にとって不名誉な事実を隠すために、『吾妻鏡』はこのような戌神の話を創作したのではないかとも考えられています。
しかし、『鎌倉殿の13人』は、この『吾妻鏡』のエピソードをもうまく取り入れながら、この歴史的大事件を描いていきます。
第44回「審判の日」は、何かを警告するように吠える白い犬のアップ、そして、その犬と向き合う義時の姿から始まりました。そして、薬師堂を建立した理由についても、義時は「半年ほど前、夢に白い犬が現れて、それが妙に引っ掛かって。もちろん、私は夢のお告げを信じてはいないが」と、政子(小池 栄子)と実衣(宮澤 エマ)に語っているのです。
戌神のお告げによって難を逃れたという説話のような『吾妻鏡』の記述も、不自然ではなく伏線としてうまく活用した上で、ストーリーは展開していきます。
3. 実朝暗殺は公暁の単独犯行か? はたして黒幕はいたのか?
さて、では公暁単独での犯行ではないとしたら、黒幕はいったい誰だったのでしょうか。これまでに唱えられてきた説を、以下にまとめて紹介しましょう。
・北条義時黒幕説
江戸時代、新井白石が『読史余論』の中で指摘したのが始まりです。
『吾妻鏡』に書かれた義時の急な体調不良、戌神によって命を救われたというのはあまりに不自然ではないかという疑問から、実朝の暗殺をそそのかしたのは義時であり、仮病によって難を逃れたのではないかと考えます。
・北条義時と御家人の総意説
本郷和人氏(『承久の乱』2019年)の唱える説です。義時が深く関与し、さらに「御家人の総意」があったと考える説です。その理由としては、実朝の後鳥羽上皇への接近が挙げられています。
鎌倉殿である実朝がこのまま後鳥羽上皇の重臣として仕え朝廷の序列の下に置かれるようなら、鎌倉幕府も朝廷の支配下に置かれることとなり、東国の在地領主のための幕府が否定されかねません。東国の武士たちにとって「危険な将軍となっていた」ため排除されたのではないかというのが本郷氏の説です。
・三浦義村黒幕説
小説家の永井路子氏が小説『炎環』の中で描き、歴史学者の石井進氏がその可能性を認めたことで注目された説です。
義村は、公暁の乳母夫です。鎌倉殿・実朝と執権・義時を同時に亡き者とし、公暁を鎌倉殿に立てることで、義時が持つ権力を我が物としようとしたのではないかというのが、義村黒幕説です。
・公暁単独犯行説
『鎌倉殿の13人』の時代考証を担当する坂井孝一氏をはじめ、山本みなみ氏など、近年の研究者の多くが支持しているのが公暁単独説です。
坂井孝一氏によれば、義時黒幕説の背景には実朝が北条氏の傀儡に過ぎないのではないかという旧来の鎌倉幕府の捉え方があるといいます。また、義村が義時や北条氏を倒し権力を握ろうとするのであれば和田合戦のときに和田義盛に味方すればよかっただけなので、「今さら右大臣拝賀のような場で『大勝負』に出る必然性はない」(『源氏将軍断絶』2020年)ため、追い詰められた公暁の単独犯行というのが坂井氏の説です。
このように、近年の歴史学研究では公暁単独説が優勢ですが、『鎌倉殿の13人』ではこれらのさまざまな説をうまくミックスして描いています。最終的には公暁一人に罪がなすりつけられてしまうものの、義時にも義村にも動機があるように描かれていました。
まず、三浦 義村(山本 耕史)は父・頼家が亡くなった顛末を公暁に知らせることで、実朝と義時を暗殺させるように仕向けます。しかし、暗殺計画を察知した北条 泰時(坂口 健太郎)は義時に忠告し、気づかれたことを悟った義村は計画を中止するよう公暁に伝えます。しかし、公暁は計画を中止せず、そのまま一人で暗殺を実行してしまうのです。
一方で、義時は幕府を京に遷したいと言う実朝に愛想をつかし、公暁の計画を黙認するのでした。
幕府を京に遷すという実朝の計画は『吾妻鏡』をはじめとする史料に見えませんので、これは義時が実朝を見限る決定的なきっかけとして三谷氏が創作したエピソードでしょう。しかし、このフィクションを挿入することによって、実朝が消されることになった理由が視聴者にもよりはっきりと伝わってきます。
ドラマの中で描かれた「義時が実朝を見限った理由」は、本郷和人氏の唱える北条義時と御家人の総意説に近いものでした。
11-後編 に続く
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』