人生100年時代の生存戦略を読み解く「鎌倉殿の13人」考察
歴史上の人物たちから学ぶ、新たな視点と生きるためのヒント 4-前編
2022年のNHK大河ドラマは『鎌倉殿の13人』。脚本は、『新選組!』、『真田丸』に続き、三谷幸喜氏が務めます。
舞台となるのは、平安末期から鎌倉時代前期。北条義時を主人公に、源頼朝の挙兵から源平合戦、鎌倉幕府の樹立、御家人による13人の合議制、承久の乱まで激動の時代を描きます。朝廷と貴族が政治の実権を握っていた時代から、日本史上初めて、武家が政治を行う時代へと突入する、まさに歴史の大きな転換点とも言うべき時代。ここから中世という時代の幕が開く歴史のターニングポイントを、三谷氏らしいコミカルな演出も交えながら描く、予測不能のエンターテインメントです。
このコラムでは、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を深読みしつつ、ドラマの中に描かれる史実を取り出して解説します。そして、歴史上の人物たちの生き方や考え方から、現代に活用できる新たな視点を紹介していきたいと思います。
目 次
1. 八重、政子、亀。女たちのマウント合戦
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、坂東武士たち男性キャラクターはもちろんのこと、女性たちも、生き生きと魅力的に描かれています。
中でも、序盤で注目を浴びているのは、源 頼朝(大泉 洋)の妻や妾たち、そして北条 時政(坂東 彌十郎)の妻であるりく(宮沢 りえ)といったところでしょうか。
源頼朝の最初の妻は、伊東 祐親(浅野 和之)の娘(三女、あるいは四女とも)。正式な名前はわかりませんが、伝承では八重姫と伝えられることが多く、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも八重(新垣 結衣)と呼ばれています。『曽我物語』や延慶本『平家物語』、『源平盛衰記)、『源平闘諍録』などの物語では、源頼朝の間に千鶴丸という名の男児を授かった女性として描かれています。平家に仕え、頼朝の監視をする立場であった伊東祐親は、外聞を憚り千鶴丸を殺してしまいました。
八重姫のその後については、これら軍紀物語の中では江馬(江間)次郎という武士のもとに嫁いだと描かれていますが、真珠ヶ淵に入水自殺したという伝承もあり、はっきりとしたことはわかっていません。少なくとも、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のように、北条 義時(小栗 旬)の妻となったという説はないようで、このくだりについては、三谷氏の大胆なアレンジのようです。
そして、源頼朝の二番目の妻は、政子(小池 栄子)。説明をする必要もないほど日本史上有名な女性です。鎌倉殿の御台所であり、二代将軍・頼家、三代将軍・実朝の母となり、彼らの没後は尼将軍として自ら鎌倉幕府を支えることになる女性です。
頼朝が八重と別れ、政子と結ばれた当初も、政子と八重との間で、口論レベルの地味なマウント合戦が繰り広げられていました。第三の女、頼朝の愛称・亀(江口 のりこ)という強烈な個性を持つキャラクターが現れた今となっては、政子と八重のマウントの取り合いなど口論とも言えないレベルに感じられてしまいます。しかし、「寝汗をかく佐殿を知っている前妻の私ってちょっとすごいでしょうアピール」、「自分の夢枕に生きていることを知らせに来てくれた、私って愛されているでしょうアピール」など、八重と政子の間でも、前妻と後妻の間の「後妻(うわなり)打ち」のような、ちょっとしたマウント合戦が行われてはいたのです。
頼朝の第一の妻(前妻)である八重から、二番目の妻(後妻)である政子に対する「後妻打ち」が、ごく地味なジャブのようなものだったのは、八重が主人公である義時の妻となる人物のため、攻撃的なキャラクターとして描くより愛されるヒロインというキャラ造形にした方がよいという配慮があったのかもしれませんし、後の「亀の前事件」を強烈に印象づけるための伏線だったのかもしれません。
2. 『吾妻鏡』では柔和な性格と記された亀が、『鎌倉殿の13人』では気の強い女性に?
女たちのマウント合戦は、頼朝の第三の女、亀の登場によってさらに苛烈を極めることになります。御所で下働きをする訳ありな風情の八重を、頼朝の最初の妻であると察した亀は、八重に対し、自身が頼朝と関係があることをアピールします。頼朝の寝所に呼ばれたタイミングを見計らって八重に酒を運ばせることで自身と頼朝の関係を見せつけるという、あからさまなマウントの取り方をしているのです。
政子や八重を激しくライバル視する上昇志向を持った気の強い女性という亀の性格は、三谷氏オリジナルの脚色です。当て書きの達人と言われる三谷氏だけに、亀を演じる江口のりこさんに似合うキャラクター像として、脚色されたものでしょう。
『吾妻鏡』の寿永元年(1182)六月小一日条に、「亀の前」という呼び名で登場する頼朝の愛妾は、「顏貌の濃かなるのみにあらず。心操殊に柔和なり(容貌が美しいだけではなく、その性格もとても柔和である)」と、『鎌倉殿の13人』の亀とは真逆とも言うべき性格が記されています。
『鎌倉殿の13人』での亀は、石橋山合戦の後、房総半島で再起をはかる間に出会う漁師の妻として登場しますが、『吾妻鏡』では「良橋太郎入道が息女なり。豆州に御旅居より、眤近奉る(亀の前は、良橋太郎入道という人物の娘である。頼朝が伊豆で流人暮らしをしていた頃から、昵懇の仲であった)」と、伊豆にいた頃から関係があったと書かれています。
良橋太郎入道という人物については、詳細は伝えられていません。下総国吉橋(現在の八千代市吉橋)という地名があることから、房総半島での出逢いをオリジナルのエピソードとして創作したのかもしれません。
そして、第12回「亀の前事件」では、これまで男たちに見えない水面下で繰り広げられていた女たちのマウント合戦が、とうとう『吾妻鏡』にも描かれる大事件へと発展します。第12回のサブタイトルとなっている「亀の前事件」です。源平の合戦が本格的に始動する前に、女たちの戦が白日のもとにさらされるという展開でした。
3. 亀の前事件、前妻が後妻の家を取り壊す
「亀の前事件」は、『吾妻鏡』の寿永元年(1182)十一月小十日条では次のように描かれています。
「此の間、御寵女(亀の前)、伏見冠者広綱が飯嶋の家に住むなり。而(しか)るに此の事露顕し、御台所殊に憤らせしめ給ふ。是、北条殿室家の牧御方、密々に之を申さしめ給ふのゆえなり。
よって今日、牧三郎宗親に仰せて、広綱の宅を破却し、頗(すこぶ)る恥辱に及ぶ」
政子が頼家を出産したのは、寿永元年(1182)8月12日のこと。出産の前後、政子が御所から比企の館に移っていた頃、頼朝は伏見広綱の館に住まわせた亀のもとへと足繁く通っていたようです。
「北条殿室家の牧御方」とは、りくのことです。ドラマ『鎌倉殿の13人』と同じく、発端は時政の妻、政子の義母にあたるりくが、こっそりと政子に事実を教えたことから始まったと記されています。
ドラマの中では、ここに至るまでの間に、夫・頼朝の出世に合わせて、自身もどんどんと重んじられるようになっていく政子に対し、りくがモヤモヤとした気持ちを抱いているような場面が何度か描かれてきました。
出産のため乳母の比企の館へと移る際、周囲から重々しく扱われる政子を見たりくは、「私の時と随分と扱いが違うじゃありませんか」「政子もいい気になって」「偉そうに」と不満をはっきりと口に出しています。
御台所として政子の立場が重くなる一方で、時政は、鎌倉殿の舅とはいえ、家人の中で絶対的な第一の立場として重んじられているわけではありません。りくは、上昇志向が高く、都の教養を身に付けた女性として描かれてきました。いまだ自らの夫の地位はパッとせず、義理の娘である政子に追い抜かれたように感じ、鬱憤が溜まっていたのでしょう。時政から「政子には言うなよ」と釘を刺されていたにも関わらず、親切を装って政子に亀のことを告げてしまいます。そして、「鎌倉殿が都を真似て側女を作ったのなら、こちらは後妻(うわなり)打ちで仕返しをするのです」と都の習わしを政子に伝えます。
「後妻打ち」を実行するのは、りくの兄である牧 宗親(山崎 一)。ここまで、『吾妻鏡』の記録通りの展開です。『吾妻鏡』には源義経の名は見えません。りくは、「ちょっと壊してくるだけでいいですからね」「大事にはしたくないので」と牧宗親に言っていますから、「広綱の宅を破却」することまでは望んでいなかったのでしょう。
事を大きくしてしまったのは、義時に言われて広綱宅の警護についていた源 義経(菅田 将暉)が、弁慶をはじめとする家人たちに家を壊すように命じてしまったためです。このことによって、『吾妻鏡』通りの展開になると同時にコミカルさが増していますし、さらに、この後、平氏との戦で鬼気迫る軍神のような働きを見せる義経という、特異なキャラクターをアピールする場面ともなっています。
4-後編 に続く
並木由紀(ライター、小説家)
大学院では平安時代の文学や歴史、文化を中心に研究。別名義で『平安時代にタイムスリップしたら紫式部になってしまったようです』、『凰姫演義』シリーズ(共にKADOKAWA)など歴史を題材とした小説を手がける。
2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』